2009年06月05日

お金ってバーチャル?

 ほぼ日の<現実にないけれど、あることになってる世界。> を読んで、いろいろ考えさせられました。(糸井さんも、迷いながら書いているような感じを受けたのは、ぼくだけでしょうか?)

 お金ってなんだろうと、友達が悩んでいたことを思い出します。
 昔は、金(キン)と文字通り換金できるから、意味があったのでしょうが、今は、確かに、バーチャルの世界で、数字だけが動いているのかもしれませんね。
 経理をやっている友達は、帳簿に、現実感のない数字を書いていることに、最初は罪悪感と戸惑いを感じていたけれど、人間、だんだんと慣れてくると言っていたことを思い出します。

 ぼくは、こんな数字に支配されたくないという気持ちが強いかもしれない。なんでも、金で解決すると思うなという気持ちは、こういうところに、現れているのかも知れませんね。(負け惜しみに聞こえるか)

担保もいらない、貴金属としての金の保証もしない、
ひたすらに数字が数字を決定していく経済のなかに、
ぼくらの世界は漂っている。


 すごく、衝撃的な考察だけれど、今のぼくたちの現実だったりします。お金は、大事なものだと思うけれど、マネーゲームに興味のないぼくは、このことにすごく違和感を感じてしまいます。

 本当にすごいと思えることは、お金を稼いでいる人のことではなくて、やっぱりそれに見合う価値を創造している人たちなんだと思います。お金が本当の意味で、そういうものの評価の基準になってくれれば、面白い世の中になるのかも知れませんね。
 まあ、そうなったら、そうなったで、厳しい世の中だということになるのかも知れませんが・・・
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2009年05月27日

トラ技のバックナンバー

 仕事の関係で、資料あさりをしていて、2006年のトラ技に知りたい情報が掲載されていそうだったので、その内容が読みたいと探しました。ところが、トラ技のバックナンバーは、原則18ヶ月までしか取っていないということで、2006年となると、入手が非常に困難らしいということが判明しました。
 それで、バックナンバーを置いていそうな、大きな本屋や、古本屋を回ってみたのですが、結局手に入れることが出来ませんでした。後は、図書館で借りるしか手がないような感じなのですが、置いている図書館は、少なく、一件検索してみたら、たまたま読みたいと思っていた号は貸し出し中でした。(トラ技を置いている図書館があるなんて、今回初めて知りました)
 この手の技術雑誌って、古くなっても使えるものが多いので、割と需要があるのではないかと思うのですが、古本屋で扱っているところなんてないですね。実は、これ、本になっている必要がないので、電子データにして、データベース作って買えるようにしてくれると良いのになと思うのですが、どうでしょうね。(需要ないかな?)
 年間CD-ROMという一年単位のもの(トラ技は月刊誌)は、販売されているのですが、1枚1万円以上する値段だと、買う気がしないんですよね。バックナンバーは、基本的には古い情報ですので、電子データで提供するかわりに、安い値段で必要な情報だけを買えるようにしてくれると結構利用するような気がします。電子データなら、在庫を抱える必要はないし、管理費もあまりかからないから、埋もれているものがお金に替わっていいんじゃないかと思うのですが、どうでしょう。
 技術系の情報誌って、雑誌の形になっていること自体おかしいような気もします。新しい技術をどんどん掲載し、捨てていくのではなくて、積み重ねていくことに意味が出てくるような気がします。データとして残して行って欲しいものは他にもたくさんあるような気がします。ビジネスのねたになりませんかね〜。
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2009年05月18日

トイレで読書

 トイレで新聞読んでて、怒られるお父さんの話を何処かで聞いたことがありますが、最近、トイレで、読み物をするようになりました。それも、難しい類のもの。ぼくの場合、例えば、技術雑誌や論文、参考書といった類です。時間にして、長くても10分かそこらなのですが、これをやるようになって、読まずに積んでいたものが少しずつ消化されているような気がします。
 なぜ、トイレなんだろうと人ごとのように考えてみたのですが、トイレって良くできた個室なんですよね。だから、集中出来るのだと思います。用を済ますまで、動くことも出来ないし、他にやることもないしで、周りからの誘惑にも負けようがない。と、もっともらしい理由を考えてみました。
 難しい本って、読み始めるまでが長くなって、ついつい後回しにしてしまいがちです。読み始めない理由を探して、いろいろな他の用事をやったりしてしまいます。日頃の習慣に関連づけて、これをやる時には何か読むなんてことを実践すると、だんだん、読む時間が増えてくるのかも知れないなとちょっと思いました。
 たかが10分なのですが、毎日続けていると、たいした量になってくるものです。他にも何かに、応用出来るかも知れませんね。
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2009年05月06日

高山義浩先生

 黄金週間も、終わりに近づいてきてますね。ぼくは、今年は、結局遠出しなかなかったのですが、海外から帰ってくる方々について、昨今のインフルエンザ報道で、いろいろ騒がれてますよね。それで、糸井さんのほぼ日を見ていたら、新型インフルエンザの基礎知識から対策まで。ってのを見つけたので、読んでみました。(この騒動が起こる前のインタビュー記事みたいですね)
 この記事は、インフルエンザに対する国の対策が、とても分かり易く書かれているので、一度読んでみるといいと思います。(こういう啓蒙活動って、問題が起こる前に徹底的にやったほうが、きっといいのでしょうが、問題が発生しないと、TVなんて、動かないもんなんですね)

 それで、そのことは、その記事を読んで頂くとして、ぼくは、この高山先生にちょっと興味をもちました。というのも、この記事の中で紹介されている戦時下の医学部長というお話を読んだからです。この内容は、かなり衝撃的ですよね。こういう経験をされた方が、国の対策室のメンバーをやってらっしゃるということが、ちょっと意外であると同時に心強く思いました。
 他にも、国際保険通信のバックナンバーにいろいろな経験談が書かれているようですので、これから、暇な時に読んでみようかと思っています。
 世の中では、物語ではなく、正に、現実として、こういうことが起こっているということは、心に留めておく必要がありますよね。
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2009年04月29日

人工生命の方法論

 どこかで聞いたことがある、人工生命というやつのお話を読んでいます。(よくわかってないけど)取りあえず、概要のところを読んだのですが、考え方が面白いと思いました。

 ぼくらは、知らず知らずのうちに、これは、こうだから、こういう結果になると予測します。これは、意識的あるいは、無意識であっても、ある法則を知っていて、因果関係から、こういう行動をとると、こういう結果が生まれるということを知っているからだと思います。言い換えれば、それは、ある法則が成り立っているからわかることで、その法則は、経験と理論を組み合わせたものになります。
 これって、すごくシンプルでわかりやすいのですが、実は、世の中、そうでないことのほうが多いということは、何となく経験上知っているような気がしませんか?
 上記のようなしっかりした法則性は、人工生命を考える時にも当てはまらないようです。ではどう考えるかというと、いろいろな条件下において動的に、選択をしていくと、どういう結果が得られるかを、試行錯誤の中研究しているように思えます。(実は、よくわかってないので、うそを言っているかも知れません)つまり、原因と結果が1対1の関係ではなく、その都度、結果を考慮して、次の選択をしてく動的な変化の積み重ねがどうなるかという世界らしいです。これは、いろいろな結果が出ると思われるので、ミクロ的には、因果関係が成立しないのですが、大まかに見ていくと、何処かに収束しているのではないかと、研究されているような感じなのでしょうか。
 条件が少し変わると、結果が大幅に変わってしまうため、法則性が見つからない。これは、よく聞く、カオスの世界と似ているようです。
 カオスの世界は、決定論的な考え方では、導くことが出来ないものがあるということを示した考えのようで、初期値をほんの少し変えると、答えが、全く違うものに変わってしまう現象なのだそうです。(興味が出てきたので、今度ちゃんと何かを読んでみたいです)人工生命は、決定論的な世界とカオスの世界のちょうど境目の世界をターゲットに理論を展開しているようです。

 と、わからないまま適当なこと書いていますが、これを読んだとき、やっぱり未来は、決まっていないのかも知れないとふと思いました。未来は、いくつかの選択があってその選択のもと決まっていく。いろいろな力関係があって、確率的に高い未来は存在するのかも知れませんが、何を一番に考えるかで、人それぞれ選択が変わるわけですから、未来も変わるのかも知れない。自分たちの未来がカオスなら、カオスは、そのことを理論で証明してくれているのかも知れない。と、そんなことを考えました
 こんなことを理論で追いかけるなんて、人間という生き物は、やっぱり面白いと思います。ぼくは、生命を解き明かすこと自体には、実はあまり興味はないのですが、考え方には、かなり興味があります。この答えは、解き明かされることはないような気がしますが、今後は、こういう話題も気になりそうな気がしてます。
 

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2009年04月13日

直感と脳

 糸井さんのほぼ日でやっていた対談が、とても興味深かったので、メモ。以下、面白いと思ったところの引用です。

そうですね。
例えば、センスっていうのは
言葉にはならないといわれています。
芸術作品などもそうですが、
言葉にならないけど、
こっちのほうがいいとは、なぜか判断できる、
そういうことは、もうしょうがないわけです。

そういう感覚って、
かなり無意識のところから生まれています。
脳の部位でいうと
基底核(きていかく)とか小脳という場所です。
ここの活動は意識にのぼらないんです。
ほんとうはちゃんと論理的に
考えているんだろうけれども、
答えだけがわかる、というものを
出してくる場所なんです。

だから「こっちのほうがいい」という、
最終結果だけはわかるんだけど、
その途中どういう思考をたどっているか、
自分では言えないんですよ。

一方、大脳皮質はすごく意識的で、
「これこれこうなって、こうなって、
 こうなって、だからこうでしょ」
というふうに、ちゃんと論理的に
口で説明できます。
このふたつが脳の中にあって、
おそらく二重構造をしているんです。

大脳皮質は、哺乳類で大きく発達しています。
だけど、基底核という、
言葉にならないけれども
答えだけわかっちゃうようなシステムって、
哺乳類以外の動物、例えば
鳥類や爬虫類や両生類、
それに魚類にまであるんですよ。


 ちょっと長くなってしまいましたが、よく理由はわからないけど答えがわかってしまうことってありませんか。ぼくは、よくそういうことがあるの気がするのですが、それって脳のしくみの中に存在するんですね。
 例えば、直感とか第六感、虫の知らせとか、理由はわからないけど、好きとか嫌いとか・・・。いわゆる言葉に出来ない世界っていうのは、脳の中に仕組みとして存在するんですね。
 この部分の判断基準ってなんだろう。やっぱり、経験と学習能力なんですかね。論理的に説明できないのは、この部分を脳が認識出来ないからなんだと思うのですが、意識していなくても答えは出しているんですよね。これ、とても面白いと思うんです。思考ではなくなんらかの判定基準があるのでないかと・・・。
 どうしてこんなこと考えるかというと、思考回路を人工的に作るのは難しくても、この無意識下の判断は作れるような気がするんです。(もうあるのかな?)
 魚の例が上がっているように、こっちのほうが原始的な気がするんですよね。刺激と判断の組み合わせで、最終的に正しい道を見つけることが可能なんでしょうか。つらつら考えることは、面白いですね。
 
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2009年04月11日

脳と言語の違い

 脳の老化とその対策という特集の中で下記のような記述がありました。

 三つの連合野で統合された認知は、更に概念中枢に伝達され、そこで統合されて、左脳では言語的、右脳では、視空間の概念が形成される。左脳の概念中枢では、また欧米文字と仮名文字の心像があり、ここの損傷で、欧米人では、すべての文字を、日本人では、仮名文字を読むことも書くこともできなくなる(失読・失書)。漢字の心像は左側頭葉37野にあるらしい。

 これは、高齢化社会特集の中に書かれていた文なのですが、仮名文字と漢字で、使っている脳が違うというのは、ちょっと意外でした。言語ということでは、同じ理解を頭ではしているのに、使っているところは違うんですね。
 ぼくは、英語がとても苦手なのですが、漢字を覚えるのと同じようにしていたら、英単語は覚えられないのかも知れませんね。漢字は、絵のすなわち、画像のように覚えるということでしょうか。ならば、英語や仮名はどうやるのがいいのでしょう?
 前々から、ぼくは、人間は、言葉は音で覚えるのではないのかと思っていました。文字を知らなくても、人は会話することが可能です。ということは、言葉は、音で認識している。音声認識なんかを考える場合、言語を音でライブラリ化するのが正しいやり方なんじゃないかと。文字化することが大事なのではなく、音そのものの辞書が必要なんじゃないか?むしろ、文字をそこに当てはめて、判定することが必要なのではないか?そんなことをつらつら考えていた時期がありました。
 この話を読んで、まさに、絵と音では、使っている脳が違う。英語や仮名は、その音を言葉にしたものになるのではないかと思いました。脳は、音と文字を結びつけて、文字を読んでも意味がわかるように学習したということなのかと。
 上記の考えは、半分以上、ぼくが推測で書いていることなので、正しいかどうかはわかりません。これが正しいとすると、英語の勉強方法は、単語を絵で覚えるのではなくヒヤリングが基本だということになります。そして、これが、ぼくは、少々苦手な気がします。と出来ない理由を言ったところで、いいわけにしかなりませんね。
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2009年03月29日

人工知能学会

 人工知能学会に入会してみました。人工知能って、かなり昔からやっている分野のような気がするのですが、今でもアトムのような人工知能は出来てないですよね。アルゴリズムで表現できるものは、コンピュータで実現可能なんでしょうが、そういう世界では、いわゆる知能というのは、無理なのかも知れません。
 最近、認知ってなんだろうと考えたりします。同じ人間でも、日本人とアメリカ人では、話す言葉が違います。英語で話されると、ぼくは理解出来ないけれど、日本語で話されると理解できます。同じ人間でも、認識出来るものが違う。認識に必要なものと、学習の関係なんかを突き詰めると、何か面白い世界にいけるのか、どうなのかと、少し興味を持つようになってきました。
 ロボットのように動かなくても、話をするPCなんて出来たらそれだけでも面白いですよね。とつらつらとりとめもなく考えていると楽しいです。将来、すべての家電品が話せるようになったら楽しいですよね。いや、ちょっとうるさくなるかも知れませんね。
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2009年03月22日

長崎ちゃんぽん

 ちょっと前、セブンイレブンに行ったときに、マルタイのカップ麺、長崎チャンポンが山積みされていた。ぼくは、あまりカップ麺に好みがあるほうではないのですが、このちゃんぽんは、結構好きで、あれば買って食べている。ところが、今住んでるところの近くには、このカップ麺を置いているところがない。適当にスーパーを回ってみたのだけれど、何処も置いてなくて、しばらく食べてなかった。
 やった、しばらくセブンイレブンが取り扱ってくれるかも知れないと思っていたら、この間行ったらもう置いてなかった。セブンイレブンは、早い周期で、品物を変えているみたいだけれど、これは早すぎじゃないの??こんなことなら、たくさん買っとけばよかったと思った次第です。
 田舎に居たときは、食べたいときに食べられていたのだけれど、食べられなくなると、貴重だと思えてしまう。こっちに来てからは、安売りでなくても買ってしまう良いお客だったのに・・・。
 何処かで、扱ってくれないかな〜。カップヌードルなみに、名品だと思うんだけどな〜。


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2009年03月21日

広告料

 一昔前、もぐらの電脳工房というHPを立ち上げて、Windowsのソフトを公開したのですが、これで生計を立てられないかと真面目に考えていた時期があります。結局うまく行かなかったのですが、その時、公開したソフトに自動広告システムを組み込みました。右上にテキストリンクが出るだけなのでそれほど邪魔にならないだろうということである会社のシステムを採用しました。表示される広告は、勝手にランダムに表示されるので、広告システムを提供している会社を信用して、管理自体は何もしてません。(最初の頃は、あまりに酷い広告は除外処理していたような気がしますが)
 掲載最初のころは、アクセス数とか気になっていたのですが、料金換算とアクセス数を考えると、腹の足しにならないということがわかってきました。結局放置状態と化していたのですが、この間、その会社から、お金が振り込まれてきました。金額は、2年間で3000円程度。(3000円を超すと振り込まれるシステムなので、振り込まれたというわけです。)
 忘れていたときに、ちょっとしたお小遣いが入るのは、うれしいのですが、やっぱりこれだと運営資金にもなりませんね。人気ソフトだともっと稼げるのかも知れませんがたかが知れているような気がします。
 今や、ソフトは、無料で手に入れる時代になってしまったので、ソフト自体でお金を頂くのは、難しい世の中になってしまいました。間接的には、広告料ということになるのでしょうが、ソフト本来の目的以外の所で告知を考えなければいけないので、それに向いているものは良いかも知れませんが、すべてのソフトにマッチするような気がしません。
 無料というのは、ユーザーにとっては一見いいように思えるのですが、ソフトの発展を考えるとマイナスな気もします。実際ぼくは、ソフトを作ることは、趣味になってしまい、いい加減な作りをするようになってしまいました(それはそれで、楽しくはあるのですが)。そのため公開・更新もしなくなってしまいました(結構、労力がかかるんです)。
 結局バランスが大事なのかなと思います。何処に、いくら払って、それに見合う対価を得る。今は、それが間接的になっている分、ユーザーにとっては、見えにくい時代なのだと思います。個人的には、もっとシンプルな関係のほうが、お互いのためにいいのではと、時々思うことがあるのですが、やはり、目の前のメリットには飛びつきたくなりますよね。
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2009年03月10日

昔の論文誌を読んでみる

電子データ化の一環として、昔の論文雑誌を電子データにして処分しています。大学卒業したての頃は、学会誌に所属していたので、何年間かは論文を採っていたのですが、仕事が忙しくて、とても論文なんて目を通している余裕がなくなったので、数年で、脱退してしまいました(必要な論文は会社で読めましたし)。そのころの論文なんか、さっさと捨てればいいのだけれど、ちょっと興味がある分なかなか捨てられずにいました。(読まなきゃ意味ないんですけどね)
 それで、今回、電子データ化して捨てようと、論文をばらしているのですが、今の時代でも、興味をそそる内容が書かれていたりして面白いです。もう、10年以上前の論文紙なのだけれど、今、興味がある内容もあったりして、学術的には、こんな前からいろいろ提案されているのだと、改めてわかったりして、技術が確立されるには、やっぱり時間がかかるんだと思いました。
 掃除しているときに、昔の新聞や雑誌をみつけてついつい読んでしまい、なかなか掃除が進まないなんてことありますよね。そんな感じで、今、捨てる前に昔の論文誌で興味あるところだけを拾い読みし始めています。
 例えば、最近興味が沸いてきているニューラルネット。もう古い技術の部類に入るのかもしれないのですが、どうもよくわからないんです。そしたら、10年前の論文誌にニューラルネットの話なんかでてきたりするんです。誌面が限られているので、詳しいことは、省かれている場合が多いのですが、取っかかりにはなりそうです。面白いと思ったことがあったら、ここで書いてみるのもいいかもと思ったりするのですが、さて、ねたになりそうなことが出てくるのか・・・ちょっとずつ読んで行こうと思います。
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2009年03月01日

ソーラー充電池

 ここにソーラー充電池なるものが掲載されていました。よく見ると、これ、手作りなんですね。この充電池、一見良さそうなのですが、電池自信を日向に出しておかなければならないので、実用性は、疑問が残りますが、アイデアとしては面白いですよね。
 最近、太陽電池の技術も上がってきているという話も聞きますし、勝手に充電池なんて実現されると、本当にいいのになと思うのですが、出来ないですかね〜。本当に、充電って面倒ですよね。そう思っているのぼくだけなのかな〜。
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2009年02月20日

麦茶のすすめ

 もう随分前から、麦茶を沸かして飲んでいます。
この話をすると、よくそんな面倒なことするねと言われるのですが、実は、全然面倒じゃないということに、この間気づきました。
というのも、この間、麦茶のパックを切らしたんです。
いつもなら、麦茶を入れているポットに麦茶パックを入れてお湯を注いでおけば、一時間後くらいには、飲めるものが出来ているのですが、(冷えてはいませんけど)、この間は、パックを切らしていたので、わざわざコンビニまで飲み物を買いに行ったんです。その時思ったのが、2リットルのペットボトルってなんて非効率なんだろうということです。
 まず、飲みたいと思ったときに、なかったら、わざわざお店まで買いに行かなければならない。そして、あの重いペットボトルを運ばなければならない。その上、飲み終わったら、ペットボトルを処分するために、ゴミ出しをしなくてはならない。何て面倒なんだと。
 麦茶なら、飲みたいと思ったら、パックを入れてお茶を注ぐ。飲み終わったら、パックを入れてお湯を注ぐ。この繰り返しです。ゴミはお茶パックだけ。一袋買うと、50個以上入って200円。なんて経済的なんでしょう。とまあ、思ったわけです。
 実は、ぼくも、お茶沸かすのって面倒な作業だと思っていたんです。やかんでお茶沸かすイメージがあったから。こうやってお茶作るようになったのも、こんなこと考えてやりはじめたわけじゃないですし。でも、最近やっていること振り返るとこっちのほうが、全然面倒じゃないんですよね。思い込みってやつだと思います。やらず嫌いにならないで、試してみては如何でしょうか。
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2009年02月19日

携帯を忘れた生活

 気づいたら、ここ1週間くらい携帯を持ち歩くことを忘れてました。
理由は簡単で、暖かい日に、上着を変えたら、その後寒くなったので、元に戻した時に、携帯を入れ忘れて、それっきり。
ぼくは、冬は、上着の内ポケットに携帯入れて、家でも出さずにそのままにしていることが多いので、気づいたら携帯を持ち歩かなくなっていたというわけです。
 それで、困ったかというと、まったく不都合ないことに気づきました。確かに、出張とかすると、連絡手段がなくなるので困るのですが、普段の生活だと、ぼくは、連絡手段は、メールがメインになっているので、PCが繋がる環境があると、プライベートでも、あまり困らないんです。まあ、女性と、お付き合いなんてしてると大変なことになるのでしょうが、それも、過去のことで、特に困ることがないんですよね。
 実は、少しだけ、この環境が気に入ってます。いろいろな所からせっつかれるように連絡が入ると、少々うっとうしいですから。タモリさんが、電話は失礼だと、言ってましたが、確かに、相手の都合を考えないものですから、少々鬱陶しいと思うこともありますしね。
 こういうこと書いていると、以前、時計をしない生活を送っていた日のことを思い出します。ビーチボーイズで、時計を捨てるシーンがあって、あ〜なるほどと思ったことを思い出します。さすがに、今は時間に縛られているので、時計しないというわけにはいかないのですが、たまには、縛られているものから解放されるのもいいかも知れませんよ。
 とはいえ、別に、携帯には縛られていたわけではないんですけどね。
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2009年02月14日

再開できるか?

 随分長いこと、放置してしまいました。
一回、更新しなくなると、ちょっとした切欠がないと、なかなか復活できないもんですね〜。
フェイドアウトしていく方の気持ちがわかりました。

 書きたいことがなくなったので、しばらく休む積もりだったのですが、書きたいことが出来てきても、中々再開しようという気にならななりませんでした。そもそもが、あまり、物書きが得意ではなく、少し、苦痛に感じていたのかもしれません。

 最近、池田信夫さんのblogを読むようになって、この方が、アゴラというblogを試験的にスタートされました。どういう評価を世間から受けるのか少し、注目しているところなのですが、そんな中、言葉には、やはり力があるんだなと思いました。
 実際には、人に力があるということなのでしょうが、言葉を解して、人は理解をするし、考える生き物だから、言葉を巧みに操れる人というのは、いい意味でも、悪い意味でも、影響力があるんだろうなと改めて考えさせられました。
 表現という意味で言えば、目に見えるものや、いろいろな感覚があるのでしょうが、言葉は、目に見えないものすら、表現することが出来る、数少ないものなのだと最近気づきました。今起きている現象や、人の心の中なんか、曖昧さを少なく、きっちり表現できるものは、他にはなかなかないのかも知れません。まあ、その辺りを表現できる人というのは、限られた存在なのかも知れませんが。

久しぶりに、書いているので、何だか、文章が、発散気味なのですが、要するに、また少し、いろいろとここで、書いてみようかなと思った次第です。

コンスタントに続けられることが大事だと思いますので、無理せずゆっくりやっていこうと思います。

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2008年04月06日

お酒と時間

 最近、お酒を控えている。別に嫌いになったわけではないのであるが、体調管理の意味を含めて、深酒しないように心がけている。若いころは、少々深酒しても、ちょっと寝ればすぐ回復していたのだけれど、最近は、後を引くことが多く、コントロールしないといかんなと思った次第。
 試しに、2週間前くらいから、週末以外の平日は飲まないようにしている。これが、なかなか快適なのだ。お酒を飲まないと、その影響で潰していた時間が浮いてくる。これが、実に多くの時間を費やしていたことが実感できた。やりたいことが、多くあるとこの時間が非常に貴重な時間となってきて、思わぬところで、充実した時間を得るに至っている。
 とはいえ、たまの息抜きは欲しいもの。週末に飲む酒は、とてもおいしく、ついつい飲み過ぎてしまう。ここもコントロールすることが出来るといいのですが・・。
 やりすぎると、ストレスがたまってよくないのではと思うのだが、少し控えてみるのは、いろいろな意味でいいのではないかと思った次第。ストレス解消で深酒するなら、そのストレスをなくす努力をするほうが先かも知れませんが、なかなか難しいところなのかも知れませんね。

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2008年03月30日

知恵=知識x熱意

 友人との話題から、このコラムのある記事を紹介して貰って、視点が面白いなと思って最近、最初から数ページづつ読んでいる。まだ読破していないのだけれど、折角なのでご紹介。
 第1回目の知識と熱意は掛け算で効いてくる。熱意が0なら何も生まれないけど、多いなる熱意があれば、周りを巻き込み倍倍となっていくということなのだろうか。なかなか面白いでしょ。
 ぼくに一番欠けている部分を指摘されたような気がして、はっとした。熱意というのは、やる気やモチベーション、情熱などいろいろな言葉に置き換えられると思うけど、最近、こんな熱苦しさというのは、敬遠される風潮があるような気がするけれど、こういう熱さも悪くないのかも知れないと素直に思った。
 最近、自分のモチベーションを保つのに苦労している。日常がマンネリ化すれば、みんな苦しむのだろうけれど、たまには、頭を空っぽにして、目の前のことにがむしゃらになるのもいいのかも知れませんね。(ぼくには、ちょっとまね出来そうにないけど)
 さて、久しぶりに、作りたい気もちが出てきてる。次は何を作ろうかな。

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2008年03月16日

生ウコン

 酒飲みにはいいというウコン。"ウコンの力"というドリンクも出てるくらい、体にはいいとTVの知識で知っていたから、珍しく近くのスーパーに出ていた生ウコンを買ってみた。えらく安かったので、ちょっと不安に思ったのだけれど、いまの時代、Webで探せば調理法ぐらいあるだろうとたかをくくっていたのがいけなかった。
 調べてみると、生をそのまま食べる方法は皆無で、ほぼ、みんなカレーに入れると書いてある。その他は、乾燥させてサプリメントのような扱い。いったいどんな味がするんだと、興味津々ってところ。味をみて、何か適当に調理すればいいかと、定番のおろしにしてみた。
 見た目はこんな感じ。ウコン02.jpg
 見た目は生姜みたいだったので、そばにでも合わせてみようかと思っていたのだけれど、なめてみて、ひいてしまった。いや〜、これは、何にも合わないと思うくらい苦い。良薬は口に苦しって言葉がぴったりな感じで、漢方薬みたいな感じなんだろうか。これは・・・。
 我慢して飲んでみた。食べるではなく飲むって感じ。ところが、これ、腹が楽になる感じはある。ちょっと怖いのが、麻酔効果ってやつじゃないかということ。麻痺してるだけなのかもしれないが、腹がすっきりする感じはある。あまり食べ過ぎるのは、よくなさそうだけど、悔しいかな、体にはいいような気がする。オブラートに包んで飲むとかがいいかも知れませんね〜。
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2007年05月21日

ネットの繋がらない生活

 ADSLモデムがウンともスンとも言わなくなってしまった。実は、一度電源を切ると、ランプが点くのが気まぐれになっていたので、電源を切らないで、騙し騙し使っていたのだが、ついに、反応しなくなってしまった。
 分解マニアのぼくとしては、開けてていじってみたい衝動に駆られたのだが、借り物ということもあり、がまんしている。

 ぼくは、so-netを利用しているのだが、今は、メニューにも載っていない1.5MのADSLを使っていた。理由は、簡単、安いから。
 実は、コースの乗り換えをしようと思ったこともあるのだが、月額使用料が微妙に上がるので、変更しないでいた。速度は、動画とか見ないので、1.5Mでも十分だった。出来れば、もっと安いプランをお願いできないか・・・
と思っていたら、期間限定で12Mのプランが出ていた。
 これ、3Mのプランより安くて、今のプランとあまり変わらない。なぜ???
 なんだか、騙されているような気がするのだが、取りあえず、モデムも怪しいので、このプランに変更してみた。
 そうしたら、モデムが届く前に、モデムがお亡くなりになり、3日くらいネットにつなげない生活を余儀なくされてしまったというわけ。

 この生活、いまのぼくには、かなり厳しい。テレビがなくても生活していけるけど、ネットのない生活は、かなり困りそう。少なくとも、このブログの更新は出来なくなるからね。改めて、自分がネット依存になっていることを再認識してしまった。
 何か、調べるにしろ、買い物するにしろ、暇つぶしするにしろ、メールで連絡するにしろ・・・。とにかく、ネットがなくてはならなくなっているので、ちょっと怖いと思った。
 昨日、モデムが届いたので、今日、繋いでみたら、やっとネットに繋がったというわけ。溜まっているルーチンワークをこなさないと!

 でも、ネットがないと、フリーな時間が出来て、久しぶりに、本をたくさん読みました。本当に、時間が出来るんだよね。いかに、普段、ネットで無駄な時間を費やしているかということにも気づかされた。たまには、こういう刺激があっても良いかもしれない。死活問題にまで、発展しなければね。
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2007年05月09日

再開します

随分放置してしまってすいません。

あれからいろいろ環境が変わってしまって、ソフトの更新が出来なくています。
まだ、まだ余裕はないのですが、ここだけでも再開しようかなと思います。
ソフトの更新は、ちょっとずつ再開しているのですが、まだぜんぜんはかどらないので、やっぱり公開までには至らないだろうな。

環境が変わったといえば、開発環境であるパソコンちゃんも変わったりしてて、その辺りもおいおい書いて行こうかなと思っています。

再開してみようかなと思ったのは、実は、パソコン関係など構築してる中で、自分のメモ書きを残しておきたくて、どうせならここに書くかと、ぺんをとった(キーをたたいた)次第です。
ついでにみなさんのお役に立てたら幸いでございます。

最近ちょっと凝っているのがフォント関連。
Vistaで使われているメイリオなどを使ってみたので、そのうちレポしますね。
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